2013年2月20日水曜日

Funky things

わたしの娘を見ていると
彼女は日々自分ができることが増えていくのを喜んでいるようだけれど
そういうのってどんな気持ち?
きっと自分もそうに違いなかったけど
それはもう記憶の片隅にもない
自慢じゃないけど
いやおもいきり自慢かもしれないけど
子供の頃からあまり努力しないでもなんでも出来たので
努力することをしてこなかった
ある程度はするんだ
建前として
大人がまあまあ感心する程度には
けど限界を超える必要はない
そこそこで平均値で
苦しみは回避して、ある程度の出来で満足
達成感とはなんだ?
おまえなんなん?
だから
自らいばらの道を行こうとする人を尊敬する
その道を進んでまで得たい何かがあるなんて
常に自分を高めようと最大限努力する人を尊敬する
きっともうこんな年になってしまったし
これからも努力しないでなんとかする
努力なんて簡単に身に付かない
努力に値するほどでかい夢をみる才能がない
おじけづく
わたしはすべてにおじけづいて生きてきて
それでも満足
もう変わらない
だからせめて
とてつもない夢を本気でみれる才能がある人がいたら
全力で応援しようと思う
それもまた別の才能のような気がするから
キラキラとした誰かに引っ張ってもらって生きたい
ベッドからでなくてもいいなら一生でない
そんな自分のドアを開けてくれるなら

目の前で娘が踊ってる
音楽が鳴れば
人は踊りだす
大人はいつ踊るのを忘れてしまうのか
ほどほどの自分に何を教えろというのか?
ルール?
ひとにやさしく?
社会に暮らせば余程の障害がない限りは自ずと身に付くだろう
教えるのはこれまた建前だ
ぎりぎりまともな人間になるための
親はなくとも子は育つ
環境が人を育てる
飢えさせず
安全に配慮し
社会に暮らせる建前
いや、さすがに言葉が悪いかもしれない
常識と言い換えるか
をひととおり
ほどほどの親にしてやれることは
そう多くはない
あとは彼女のアイデンティティに任せよう
誤解がないように言うなら
すべては
愛という名の下にある
バカバカしいが
これは外せない
ただ
愛しているよと言っていれば
子が育てばいいのに
そうもいかない

自分のこころの声を聞け
いつだって
そこに音が鳴っていれば
踊れ
それが楽しむってことだよ

わたしに言えるのは
例えばこんなこと

どうせなら
ファンキーにいきなよ

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